佐藤琢磨はジョーダンのドライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定し、
史上7人目の日本人フルタイム参戦F1ドライバー。
佐藤琢磨の凄いところは初めてレーシングカートに乗ってから僅か5年でF1のシートを獲得するのは奇跡に近い快挙であると言われた。しかし、資金不足に悩むジョーダンチームではシーズン中のテストもままならず、加えて不運なクラッシュもあり、ポイント獲得は日本GPでの5位入賞のみ。
佐藤琢磨は特に開幕戦、メルボルンで行われたオーストラリアGPでは、フリー走行中のクラッシュに加え、予選中もマシントラブルや天候悪化などに見舞われ、当時採用されていた107%ルールに引っかかり、不名誉な予選落ちを記録した(しかしフリー走行のタイムを基に決勝出場が認められた)。チームメイトの中堅ドライバーであったジャンカルロ・フィジケラにパフォーマンスで劣っていた事も事実。
翌年はホンダがエンジン供給をB・A・Rのみに絞ることが決定された為、エンジン供給を当てにして佐藤琢磨を雇っていたジョーダンにしてみれば、佐藤琢磨をドライバーにしておく理由が無くなった為にチームを放出されることになった。
早くこいつを越える奴をだせ!
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